感懐:震災10年に思う

2005.01.17

 震災10年と言う事で、震災は人災として、記事を書きました。ここでは、そこでは書いていない、震災についてよく言われている事で、疑問を感じる事、少し思う事などを中心に書いてみたいと思います。真実の風化予防の為の健忘録みたいな物です…ね。

震災に強い街

震災10年を経て、また昨年の新潟中越大震災をマスコミなどを通じて対比して見て、1つ思う事は、震災に負けない、安全で強い街づくりは、震災に負けないコミュニティー作りと、それを維持しうる自治体の協力であろうと、改めて強く思った事。

区画整理・都市計画推進の色濃い、復興事業下での、多くは民意を反映しない形での都市再生重視の箱物重視の行政によって、果たして、苦境を生きぬく力を出しえた人が増えたかと言うとそうは思えない。向こう三軒両隣的な下町の住民に沿った街づくり的意識は果たしてあったのだろうか。また、数百年に1度しか来ないと言われる震災対策の為の箱物的な街づくりを最優先する必要があったのか、既存の手法のお仕着せでは無い、更なる創造的なアイデアによる、住民重視の都市再生ができたのでは無かったのかと思う。少なくとも、長くとも余命数十年程度しか無い老人世帯が多い地域ならば、何らかの確約をしておき、数十年の時を経た後にでも、行う程度の譲歩があっても良かったのではなかろうかと、そんな思いがする。

震災だけでは無い苦境

震災で大打撃を被った、長田区は神戸の地場産業、ケミカルシューズの産業が主たるものでしたが、それはバブル崩壊後の日本経済の衰退と、アジア製品の大幅輸入増によって、斜陽産業となっていた。そこに、阪神大震災が起き、火災で焼失した会社も多くあった。震災直後は様々な支援の話もあり、実際に施設などもできたが、長田区が地域住民・地場産業にそぐわない街づくりの形で発展して行く事などで、更に衰退を余儀なくされていると言うのが実情ではないかと思う。国際的な自由競争の結果、敗退している部分のみならば、やむを得ないと思うのですが。神戸市民の為の地場産業の復興よりも、神戸市株式会社としての長田区の再開発優先である事は、皆がわかっている事で、行政が変わる事も無いので、当時のように声高に言う者はあまりいないとは思いますが。

震災に強い家

古く、重い瓦の木造家屋ならば、確かに震度7クラスの直下型の地震に襲われれば、ひとたまりもありませんが、では地震に強いとされる家の場合、家は壊れなくても、住民が安全であるかと言うと、それは別の問題のように思います。大震災の場合、目に見えてわかる全壊家屋には救援の手が差し伸べられますが、見た目(外観上)何も損害が無いならば、自ら危機を強く訴えない限り、救援の手が及ぶ事はありません。また、その地域の目立つ位置に立つ建造物が堅牢であると、その一角も見過ごされがちになります。

震災死者は圧倒的に、圧死・窒息死(厚生省大臣官房統計情報部人口動態統計課・発表によると全体の77%)で、少数の民間人では救援のしようが無い旧家が大半ですが、震災に強い家屋内でも、宙を飛び、床を踊り、或いは倒れこむ重い家具類によって、圧迫され、死に至る事もありうる。ガラス・陶器など割れる物は粒・粉状となって突き刺さり、或いは宙を飛び食品にも混ざります。

日頃からの近所・地域の人的コミュニケーションは必須条件として、箱物としての震災に強い家は、近隣からの救援される可能性が強い環境や工夫をしておく事が必須条件であろうと思われます。地震に強いとされる家を建てておけば大丈夫と言う事では無いのではないかと言う点を強調したいと思います。

震災への備え

震災への備えとして最も強く述べたい事は、震災に負けない家や環境よりも、震災が起きるまでに、悔いの無い思いで、毎日を生きている事。被害を最小限に抑える努力は必要です。しかし、幾ら対策をしていても、地震発生時に安全な環境にいなくては、被害を被ります。自分の都合の良い環境にいる時に震災が発生するとは限りません。

物理的な対策を万全にする事も大事ですが、豊かな心である事、強い精神力である事。悔いの無い思いで、毎日を生き抜いている事。そう言う事のほうが遥かに大事なのではないか、それこそが誰にも止める事の無い、震災への備えではないかと、あらためて震災10年目に思う次第です。

その他:震災直後の地震発生映像

震災特番などで流れる、震災直後の地震発生映像は、一般的な住居では無い、堅牢な太い鉄筋の入ったビル内などに設置された(あの地震でも電源が即、遮断されなかった建築物にあった事と、地震の衝撃で記録システムが破損せずに済んだ地域にあった可能性のある)カメラによる記録映像ですので、それを見て、一般住居内での地震を想定しては勘違いされる可能性があります。特に、活断層近辺では、(ガラス類が粉状になるほどの)振幅の大きいエネルギーによる、短い周波数の激振であり、揺れと言うよりも煮沸的な急速な振動を想像して頂いたほうが良いのではなかと思われます。

火災原因は確認ミス

火災は地震発生直後よりも、その後のほうが甚大で、大規模な火災になった。消防防災博物館の記録によれば、火災の約半数が発火源は不明だが、次いで多いのが”電気による発熱体”となっている。これは、破損した家電製品に、電気が通った事で発火した物も少なからず、含まれていると思う。ライフライン復旧は需要だが、火災の発生の可能性がある事を十分な確認をせずに(電力会社が)電気を流した事が、大きな火災を引き起こした重要な一因になったのではないかと推測される。これは、決して木造の倒壊し易い建築物のみで起こる事では無く、破損した際に発火する可能性がある一般的な家電製品を所有する、全ての世帯において、危険性があると言えるように思われます。

震災は天の怒り

巨大地震が起きた理由は、震災直後、皆が、異口同音に『あんな所にあんな大きな橋を作ったからだ』と言っていたのが印象に残っています。日本全体が巨大地震の発生サイクルに入っていますので、橋が無くても地震は起きていただろうとは思いますが、果たして、利用者の少ない赤字運営の巨大な橋を作ってなかったら、もしかしたら、早期に阪神大震災が起こらなかったのではないか。或いは起きたとしても、もう少し被害が少なかったのではないかと言う思いが、どこかに今もあります。

余談:震災でバカに…

震災から1ヶ月ほどして、ようやく電気が完全に復旧し(それ以前にも、数分から1時間程度復旧した事もありましたが、火災の原因となるので、その後遮断されました) 久しぶりのプログラムを… と思っていたのですが、アセンブラもCもわからなくなっていました。プログラムが全く組めない。そのとき、『あぁ、自分はバカになったんだな』と理解しました。

震災の歌

あの震災の歌。以前は、私は好きではありませんでした。最近は特に嫌悪感無く聴く事はできます。政治的に利用される具ではないか。と言う事や、そもそも、(自分達が馴染めないような)『生まれ変われ』では無く、被災者ならば、(自分達の生活を)『取り戻せ』ではないかと。震災前よりも、より良い街で無くても良い。前の状況に近いだけで良い。そう思った次第です。(あの歌は、全曲を通じて聴けばわかりますが、本当は”生まれ変われ”と言う点を強調した歌ではありません。被災者への癒し的な面を重視した歌詞です。しかしながら、マスコミなどTVを通じて、合唱団などが歌っているのを見ると、”生まれ変われ”の部分ばかり目立って放送されていました。故に、利用されているのだろうなと言う気持ちがどうしても拭えなかったように思います)

強度的、物理的に震災に強い家にデメリットは無いか?

既に、”震災に強い家”については、述べていますが、某局の特番を見ていると、何が何でも、家屋の強化が必要と言う前提で述べており、『違うんじゃないの?』と思いましたので追記します。身を守る、震災に強い家は必要です。しかし、では、物理的に震災に強い家にデメリットは全く無いかと言うと、先に述べた事以外、例えば、家屋が曲がり、ドアなどが開かなくなります。下手をすると家に閉じ込められます。逆に木造家屋であれば、屋内から壁を破損するなどして、脱出できる可能性もあります。また、震災後に家の強化対策が(事実上)できません。木造家屋のように簡単にいじれないからです。木造の場合、数百万円程度で済みますが、調査したところ、鉄骨の家を強化するには、家を新築するほどの費用がかかる模様です。補強できない事によって、車の通行などによって揺れ易く、外部からの騒音に悩まされ易い家屋になります。よって、震災直後の被害は少ないでしょうが、その後の震災ストレスは、より大くのしかかるかも知れません。

あえて言うならば、地震に強い家を最優先するのでは無く、自分の家の地下がどうなっているのか、活断層が近くないか、地盤の強度がどの程度なのか、地盤の質(砂地や空洞は無いか)などをわかる範囲内で調査する事のほうが、より重要なのではないかと思う次第です。

震災で誰に助けられたか

再三、述べていますように、あれほどの大災害が都市圏で起きた場合、公的機関による被災者の救出と言うのは、本当に期待出来ない事は皆さんが承知の通りですが、今後、ことあるごとの震災関連のTVの番組では尚一層、消防・警察・自衛隊などの救援が主役的な”映し方”をされて行く事で、錯覚を起こす方も増えていくのだろうと思われます。

ちょうど、NHKの特番で、以下のようなアンケート結果を掲載していました。『あなたは誰に助けられましたか?』の問いに対する回等が、1位30数パーセント『自力で』 2位30数パーセント『ボランティアなど』 3位30数パーセント『隣近所』 と言った内容であったと記憶しています。『その他』数パーセントの中に、消防隊などが含まれます。

実際、この数字が現すような形でした。消防署の人は滅多に見ません。たまにいましたが、(あたかも監督のように)周りで見てるだけのような人のほうが多かったように記憶しています。救急車のサイレンの音はよく耳にしました。

事実を風化させず、政治・行政・マスコミ等に歪曲された都合の良い利用のされかたに反対する為に、この点は特に強調しておきたいと思います。また、阪神大震災で活躍されたボランティアの方々の中には、今で言う、ニートも非常に、数多くいたのではないかと思います。(私は、その統計資料は持っていないので残念ながら断定はできません。しかし、当時の事を知っている被災者ならば、何ヶ月間もの間、被災地にとどまり、真に活躍された方々がどう言った人であるのか、よくご存知の事と思います)

震災はビジネスにしてはいけない

民間も行政も、震災によって利益を得る、或いは震災によって優位な立場になろうとする傾向は、今後日本各地で起こりうるであろう、震災・大震災で、益々顕著になってくるのでしょう。(阪神大震災関連の特番でも、震災後、1年目の特番では、それでも全ての一部(マスコミは取材し易い、番組になり易い場所でしか取材しませんので、映像記録は少なく、民間でもカメラを回せる余裕のあった者も非常に少なかったと思います)で、不満は拭えませんでしたが、それでも、まだ事実に近い形で、住民同士が助け合って、ボランティアの支えがあって、生きていた場面が圧倒的でしたが、震災10年目の震災特番では、震災の真実として重要ではないかと思われた映像が、削られてしまって写っていないシーンが圧倒的になっていると感じました)

しかし、あのような大地震が起きた時、とっさに何もできません。声すら出ません。その時に役立つ物は、せいぜい、布団程度ではないでしょうか。震災関連グッズで役立つ物などは、実はそんなにありません。一番大事なのは、水。風呂の残り湯や(冬でしたから)灯油など。あと、ドラムカンですね。電池などはすぐに切れます。ラジオは車のでいいです。(以下略)

『誰かを助ける人になりたい』と志のある若者は増えているそうです。自衛隊や消防員になる方も多いでしょう。しかし、自らが被災者となったら、もしその時自分の家族が酷い災害を受けていたら、任務は果たせないかも知れません。一般の民間人のままでも、十分に多くの人を助ける事はできます。

物申す:震災は人災

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